出世とは < 自分に対する「戒め」「出世」「娑婆世界」>
- hideakiotsubo
- 6月29日
- 読了時間: 4分
■ 自分に対する「戒め」
私がよく聞くラジオ番組があります。今日はその紹介をしたいと思います。
「エフエム横浜」で毎週早朝、5時30分からオンエアされている「YOKOHAMA LAGOON」という番組です。

この番組のDJが、なんと現役の「お坊さん」横浜妙深寺の住職である「長松清潤」師です。
番組のサブタイトルが「心と体の免疫力アップのためのエンパワーメントプログラム」となっています。
私はとりわけこの番組の名物コーナーである「ボーズワード」というコーナーが好きで、現在我々が使っている
言葉が、実は「仏教」から発生している、そんな言葉を紹介しているコーナーです。
「なるほど」と感じる言葉、「ええっ」と意外に感じる言葉、「よっしゃ」とやる気に繋がる言葉、色々あります。
その中でも自分に対する「戒め」の意味の言葉は会社をリタイアした後でも記憶に残っています。彼の著書「こころ仏(ほどけ)る」にも紹介されている言葉の中から一つ紹介させてください。
■ 「出世」
私たちは職場での昇進や社会的地位が上がっていくことを「出世」と言いますが、これは仏教用語でした。
主に二つの意味がありました。一つは「出世間」(しゅっせけん)という言葉の略で、俗世の色々なしがらみや迷いから離れ、穏やかな悟りの境地を目指す、という意味でした。

仏典には「出世とはいかん。(中略)能(よ)く三界を対治するをいふ。顛倒(てんどう)無く戯論(けろん)無く分別無くが故に。是無分別出世間の義なり」とあります。
仏教の「出世」は世間的な成功ではなく、「この世界の迷いを克服し、心を自由にすることだ」と述べ、その結果として「誤った考え方(顛倒)」「無意味な議論(戯論)」「執着による判断(分別)」から解放されると示しています。これがゴチャゴチャと面倒な「世間」から「出ること」だと説かれています。
そして、もう一つが「仏様がこの世に出現する」という意味の「出世」です。法華経には「諸仏の出世には値遇(ちぐう)すべきこと難し(仏の出現に出会うことは難しい)とあり、なかなかあり得ない出来事として「出世」が使われています。
実は、この二番目の意味が現代の使い方に影響を与えました。仏様に代わって教えを説くのは僧侶です。その身分や立場になるのはすごいことだと考えて、お坊さんに対して「出世」という言葉が使われるようになります。
■ 「娑婆世界」

時代が下るとお坊さんがどんどん俗人化してゆきます。
権力者が出家するケースも増えてきて、大僧正になるには実家の位が高いとか、「〇〇宮の息子で…」「藤原氏の次男だから…」などと噂し、ろくな修行もしていないのに「彼は出世する」「あいつは出世者だから」などというようになります。いつしか俗世間の迷いの象徴のような話題の中で「偉くなる」=「出世」として使われるようになってしまいました。
しかし、本来の意味を心得れば生きるヒントになるはずです。「出世」は決してこの世を捨てるわけでもありません。
この世にいながら「心」だけ自由自在、煩わしさから解放されるということです。
法華経では「出世」した人だからこそ、再び世間に戻っていく「入世間」(にゅうせけん)の教えも説かれます。
一度出世した人だから、毀誉褒貶(きよほうへん)に迷うこと無く、人生の本当に大切な意味を知って生きることができます。
幕末維新の仏教改革者、開導聖人の御教歌に「娑婆に入り 娑婆の衆生を 寂光へ 帰すは仏の 使ひ也けり(菩薩はわざわざ娑婆に飛び込んで人々を安らぎの境地に導く)」とあります。「出世」した菩薩は、勇気をもって再び娑婆世界に入ってゆくのです。
面倒なことの多い娑婆世界ですが、みんなで出世し、みんなで元気よく世間に戻りたいものです。まずは出世しましょう。
※本当の出世は偉くなることではありません。だれかを導こうと励む人が、最も出世した人です。

長くなりましたが、以上のように記されています。
まさしく組織の長は「部下やメンバーを導こうと励む人」でなくてはならない、そうなるように部下の意見を聞いたり相談にのったり、時には指導したり、そういう努力をするべき。「さて、今(当時の)私は、できているか?」
毎日が「自問自答」の日々でした。
筆者 田甫 能一




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